娘たちから「バレンタインのチョコは渡してないけど、ホワイトデーを娘たちにあげるのは父親として当然のこと」と責められた、編集長ミツです。
#ジャイアンより酷いよ
さて。
恐らくこのユベントスマガジンを読んで頂いている方はユベントスファンで、恐らくSNSはユベントス関連のもので埋め尽くされていて、そして周囲にもユベンディーニがいるんじゃないかと予想します。
しかし、このプレミアリーグが世界のサッカーファンを魅了している時代において、なぜユベントスを応援しているのか?
きっと何かしらのキッカケがあったはず。
#好きな子がユベンティーナだったとか
それを思い出してもらうべく、今日はボクがユベントスを好きになったキッカケについてお話しさせて頂きます。
1990年代
今でこそセリエAはプレミアリーグに大きく水を空けられていますが、実は1990年代は「世界最強リーグ」と呼ばれていたことを知っている方は少なくないはず。
当時はまだ外国人枠があり、その枠に世界から大物中の大物が集まって来ました。
ボクが見始めた1995-1996辺りでは、ブラジルの怪物ロナウドや、フランスの司令塔ジダン。ウルグアイの天才レコバ、リベリアの怪人ジョージ・ウェア(ティモシー・ウェアの父親)、そしてウクライナの新鋭シェフチェンコなど、兎にも角にも一流どころが「セリエAでプレーしたい」とイタリアに集まったものです。
その頃はまだ今のようにインフラが整っておらず、当然ながらパソコンもスマホも無し。世界のサッカーを見る、知る手段はテレビ東京で放映していた「ダイヤモンドサッカー」くらいで、週に一回(土曜日だったかな?)、30分番組に無理やり前半の45分を詰め込んで、イングランドリーグやブンデスリーガを見るくらいでした。
まぁ、それもあり、サッカーマガジンやサッカーダイジェストを読み漁ったものです。
WOWOWは月々たったの…
そんな流れが変わったのは、1994年に三浦知良のジェノアへの移籍。
当時、日本ナンバーワン選手と言われたらカズが移籍したことにより、一気にセリエAへの注目度が高まり、それによりWOWOWがセリエAの放映権を獲得。
週に1試合ですがセリエAの試合を放映することになり、それはカズがイタリアを離れてからも続くことになりました。
ちなみに、その時のWOWOWが「WOWOWは月々たったの3000円でハイレグ」と、ハイレグ姿の外国人のオッサンが出くるCMを流していたのは今でも覚えています。
時代ですね、時代。
強かったユベントス
ボクは若い頃からプレーしていたの事もあり、サッカーを見るのが好きでした。
とは言え特定のチームを応援していた訳ではなく、「世界のサッカーを見たい!」という好奇心でWOWOWに加入したのですが、その時にセリエAを牽引していたのがユベントス。
あの時はリッピが葉巻をくわえながらベンチで指揮を執り、チームには目下売り出し中だったデル・ピエーロがいて、まだ世界的プレーヤーになる前のジダンがマルセイユから移籍して来て、後ろには退場王のモンテーロがいて、ゴールマウスはちょっとポッチャリ体型ペルッツィが守っていて。
とにかく強く、そしてチームとしても「来るなら来い」とドンと構えていたことを覚えています。
そしてそんな強いチームを見ていて、自然とユベントスが好きになりました。
ダメ押し
そんな感じで最初はユベントスというチームを追っていたのですが、その中で宝石のように輝いていたのがアレッサンドロ・デル・ピエーロ。
1996-97は怪我がちだったこともあり、それほど数字は残さなかったものの、それでもデル・ピエーロが本物であることは分かりましたし、何よりもエリア内左45度、後に「デル・ピエーロゾーン」と呼ばれるエリアから放たれる、キレイな放物線を描いたシュートに完全に魅力されました。
その翌シーズン(1997-98)はまさに鬼神のごとく相手ゴールに襲い掛かり、シーズンを通して32ゴール・16アシストを記録。
得点については「セリエA:21点」「CL:10点」「コッパ:1得点」。まさにユベントスの攻撃を牽引したと言って間違いなく、そんなデル・ピエーロのプレーを目にして、ボクのユベントスへの愛は絶対的なものになりました。
ユーゴビッチ
ボクの生涯の中で最も好きな選手がユーゴビッチであることは、これまで5億回くらい口にしているので知っている方もいるかと思いますが、「ユーゴビッチがいたからユベンティーニになった」ということはありません。
もちろん、当時のプレーを見て完全に虜になったことは間違いありませんが、ユベンティーニになったキッカケは「ユベントスが強かった」からであり、そのチームの中に「デル・ピエーロという宝石がいたから」になります。
ユーゴビッチはこれまでで1番好きな選手ではありますが、キッカケを作ってくれたのはデル・ピエーロ。
同じような方が、ユベマガ毒者にもいるのではないでしょうか?
強かったけど面白くはなかった
当時のユベントスは本当に強くて、チームを率いていたリッピを指して「負ける試合を引き分けに、引き分けの試合を勝ちに持ち込む監督だった」と常々ボクは口にしています。
ただ、当時からユベントスのサッカーは魅力的なものではなく、ともすれば現在のアッレグリ・ユベントスと同じくらいエンターテイメント性はなかったかもしれません(笑)。
それでも「強さ」というのは見る者を魅了し、そして他のチームのファンからしたら「憎たらしい強さ」だったんじゃないかと予想します。
まとめ
今回のお題である「ユベントスを好きになったキッカケ」で言うと
- WOWOWがセリエAの放送を開始
- その頃、ユベントスが強かった
- デル・ピエーロの存在
が挙げられますが、さて皆さんの「ユベントスを好きになったキッカケ」は何でしょうか?
ぜひ、コメント欄にて教えて頂けると幸いです。
では、ステキな1日をお過ごし下さい。
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