みなさん、おはようございます。
Smithです。スミスでいいです。
徐々に近づいてくる秋の空気を感じつつ、火曜14時、羽田の太陽はまだ夏です。
ジリジリと照りついた日差しのもと、じめっとした生ぬるい風が肌に当たります。
この連休、ぼくは妻と一緒に地元の札幌へ帰省しました。
主目的は実家をはじめとする家族への訪問。
隙間で友人たちと会う予定を詰め込めば、残念ながらすすきのの街へ繰り出す時間がありません。
週末空いてる?と連絡して、忙しい中予定をテトリスしてくれる友人たちには感謝しかありません。
空いてるわけないの、知ってるんだけどね。
空けてくれてありがとうと、いつも同じ手土産を渡します。
どこまでも車で迎えにきてくれる彼らとその家族のおかげで、ぼくらの夏休みは充実したものになりました。
もちろん、ぼくもそういった連絡をいただけることはとても嬉しいので、何かあれば気軽に誘ってください。
東京に比べると1ヶ月以上、気候を先取りしたような地元の空気はカラッとしていて、少し肌寒いくらい。
とても過ごしやすかったです。
人もほとんど歩いておらず、山と川に挟まれた片側1車線の通りを軽自動車と大型のSUVだけが行き来するような場所です。
祖母の実家の窓を開けると、トンボの羽音に混じって、静けさと寂しさが入ってきます。
3日間の滞在でしたが、親族たちから聞く話はどれもハンコを押したようで、同じような出来事を各々の視点から語られます。
「大谷翔平は50-50を達成するか」
「日ハムが2位でCSに進むなら、3位はロッテが良い」
「西友が全てイオンになるらしい」
「斜め向かいの家の娘さんが結婚して子供を産んで帰ってきた」
「同じ区画に新しい家が建つ」
「祖母の兄弟が施設に入った」
「叔母の話はいつも長い」
彼らとの会話は主に野球、地域、親族の話で成り立ち、それらが彼らの生活に根ざしていることを目の当たりにします。
ぼくと彼らは同じ土地に生まれ、子供に、大人になっていく過程を共にしましたが、どこかでそれらは分岐し、各々が別個とした人生を歩みます。
それでも、最後にはがんばれと、気を付けてねと、ありがとうねと、またねと、口を揃えて別れるのです。
同じ道を歩んでいるようで、人はそれぞれの道を歩みます。
それぞれの歩みに少し寂しさを覚えつつ、最後は笑って別れるのです。
当たり前のようですが、自分が残りの人生であと何度彼らに会えるのだろうと数えると、途端に寂しくなりますね。
互いに元気で話せるうちに、軽口程度は叩いてもらえるうちに、また顔を出そうと、帰りの飛行機で暖かく少し塩気のするコンソメスープを飲みながら思うばかりです。
話を戻すと、ユヴェントスの試合を見る時間もなかったので、このエンポリ戦はディレイで見ました。
スマートフォンを見ている余裕もなかったので、情報を何日も遮断できたのは良かったですね。
0-0の引き分けでしたが、コープマイネルス、ニコラス・ゴンザレス、ドウグラス・ルイス、カルルといった新戦力やペリンが先発しました。
特に週中にCLが控えていたのでどういう布陣で来るのかわかりませんでしたが、GKについてはローテーションしていくのがわかったので、少し嬉しかったです。
さて、夏の祭りの代名詞、メルカートも終わりを迎えました。
チームを支え続けてくれたラビオの行き先が決まって、少しホッとしています。
たくさんの選手・スタッフを獲得し、たくさんの選手・スタッフを放出しましたね。
みなさんは何を思い、何を感じましたか。
プロサッカーの世界はいつだって出会いと別れが隣り合わせです。
ぼくらファンとしても、それを割り切ってやらなければならない部分もあるのですが、とやかく言うのは人の性。
きれいな別れとはいかないものの、もう少しうまくやる方法はなかったのかしらと思います。
まぁ、現金なもので、その寂しさをずっと抱えているわけにはいかず、別の興奮で上書きされるのです。
ぼくらにできることとしては、時間は有限で、思っているよりも短いのだと強く意識することだと思います。
推せるうちに推し、話題にできるうちに誰かとそれを共有し、別れの際にこう言うことではないでしょうか。
がんばれと、気を付けてねと、ありがとうねと、またねと。
楽しかった思い出を大切に数えつつ、寂しさを胸にしまいながら。
では、また。
コメント